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夫の葬儀で、私は愛人にされた  ――すべてを奪われた私を救ったのは、亡夫の兄でした ――
夫の葬儀で、私は愛人にされた ――すべてを奪われた私を救ったのは、亡夫の兄でした ――
作者: けもこ

第1話 夫の葬儀にいた妻

作者: けもこ
last update publish date: 2026-07-18 21:53:22

夫の葬儀で、自分が妻であることを証明しなければならないとは思っていなかった。

紗英さえは、白い花に囲まれた夫の遺影をじっと見つめていた。

写真の中の夫、高槻雅人たかつきまさとは、穏やかに笑っている。

口元をわずかに緩めた、いつもの表情だった。

紗英が仕事で失敗して落ち込んだときも、体調を崩して寝込んだときも、雅人は穏やかに微笑んで心を癒してくれた。

『大丈夫だよ。』

花に囲まれた彼の笑みが、そう言ってくれているように見える。

けれど、その声はもう聞こえない。

海外出張中に乗っていた彼の車が崖から転落し、炎上した。事故の知らせを聞いたのは、三日前の深夜。

遺体の損傷が激しく、そのままの状態で日本へ戻ってくることはできなかった。

遺影の前にある棺は、その顔を見ることもできないようになっている。

「間もなく開式のお時間です」

葬儀場の入り口の扉の前で所在なげに立っている紗英に、葬儀社の女性が、申し訳なさそうな表情を浮かべて、声をかけた。

「分かりました」

返事をする自分の声が、ひどく遠く聞こえた。

二年前、紗英は雅人と結婚した。

盛大な結婚式や披露宴はしなかった。

その代わりに、海外にあるリゾートホテルの小さなチャペルで、二人きりの式を挙げた。

婚姻届に署名をして、帰国後にそれを提出した。

義母とは、結婚式直前に彼の実家で顔を合わせて挨拶をしたが、あまり好かれてはいないのは、その態度でわかっていた。

でも、雅人からは、大丈夫時間をかければわかってもらえる、と言われていたし、そもそも、しばらくは結婚を公にはせずに静かに自分たちの生活を楽しもう、という話になっていた。

なぜなら、ホテルグループの会長である雅人の父は、現在、病気療養中で、後継者問題で社内が揺れている時期に結婚を発表すれば、紗英まで争いに巻き込まれる可能性がある。

――君を守るためにしばらくは公表しないでおこう。

紗英と一時たりとも離れたくない。でも、君を危険にさらしたくはないんだ。

その言葉を、紗英は疑わなかった。

雅人は、いつも優しかったから。

朝が早い紗英のためにコーヒーを淹れ、帰りが遅い日は職場まで迎えに来てくれた。

世間的には、夫婦であることを公表していなくても、職場の親しい人たちは祝福してくれたし、家に帰れば、いつだって雅人がいてくれた。

それだけでよかった。

出張に出かける朝、雅人は玄関で紗英の髪に触れ口づけた。

『会社の方もようやく落ちついてきたし、帰ってきたら、父の病院に一緒に行こう。君を紹介したい』

『本当に?』

『ああ。これ以上、紗英を待たせたくないからね』

優しく微笑んで、出掛けて行った。

それが、彼を見た最後だった。

紗英は祭壇を見つめた。

彼がこの世にいないことが信じられない。

白百合が、遺影を埋め尽くすように飾られている。

その濃厚な香りが鼻を刺した。

ふと、気になった。

どうして百合を使っているのだろう。雅人は百合の香りが苦手だったのに。

ホテルの装花に百合が使われているだけで、顔をしかめるほどだったのに。

「紗英さん」

低い声に呼ばれ、紗英は身体を固くして、振返った。

義母の高槻美津子たかつきみつこが背後に立っていた。

黒い着物をまとい、髪をきっちりと結い上げている。顔色は青白く、目の下には深い影があった。

この二年で、紗英が美津子と顔を合わせたのは、数えるほどしかない。

雅人の事故は、深夜のネットニュースで知った。

その前も、今日にいたるまで高槻家からは、紗英に対して連絡は何もなかった。

だから、訃報を受けて、海外から日本に雅人の遺体が戻って来ることも、紗英自身が何度も問い合わせた上で教えて貰えたことだった。

義母の美津子とは、葬儀場に足を運ぶまで顔を合わせていない。

紗英は、ぎこちなく頭を下げた。

「お義母さま。このたびは……」

「あなたは関係者席の方へ座って」

紗英は言葉を失った。

「関係者席、ですか」

「そうよ」

美津子は、紗英と目を合わせなかった。

「関係者の席は遺族席のすぐ後ろにあるから、係の人に案内してもらって」

義母が自分を雅人の妻として好ましく思っていないのは、その態度で知っていた。

でも、こんなのは許せない。

「私は、雅人さんの妻です」

声が震えないように、紗英は両手を握りしめた。

「遺族席に座らせてください」

美津子のこめかみが、わずかに動いた。

「こんな日に騒ぎを起こしたくないのよ」

「騒ぎを起こすつもりはありません。ただ、私は夫を――」

「雅人のためを思うなら、言うことを聞いて」

鋭く遮られ、紗英は息を呑んだ。

美津子の声は冷たかった。

ふと見えた着物の袖口からのぞく指先が、小さく震えていた。

「私は雅人さんの妻です。家族として彼の傍にいたいんです」

紗英の言葉に、美津子は答えなかった。

代わりに、葬儀場の職員へ視線を向ける。

「彼女を関係者席へご案内して」

まるで、これ以上話すことはないと告げるような態度だった。

紗英はその場を動かなかった。

二年間、雅人との結婚を隠してきた。

メディアには漏れないように、雅人と外を歩くときは少し距離を取った。

ここで最後まで弔問客として夫を見送れば、私たちの二年は、二人の結婚は、誰にも知られないまま消えてしまう。

「お願いします。雅人さんの妻として、彼をを見送らせてください」

感情が揺さぶられ、浮きそうになる涙を必死でこらえて、紗英は美津子に頭を下げた。

それから返事を待たず、祭壇の前にある遺族席へと足を向ける。

「紗英さん、待ちなさい」

美津子の声が追ってきたが、足を止めなかった。

祭壇の前の遺族席周辺にはすでに数名の親族が座っている。

その最前列の中央に、一人の女性がいた。紗英と同じくらいか、少し年上だろうか。

艶のある黒髪を襟元でまとめ、隙のない喪服姿で背筋を伸ばしている。

その隣には、男の子がいた。

男の子は、落ち着かない様子で足を揺らしていたが、紗英に気づき、顔を上げた。

その瞬間、紗英の足が止まった。

その子の目元は、雅人にそっくりだった。

少し下がった眉も、何か言いたそうに唇を結ぶ癖も。

あまりにも似すぎていた。

普通に考えれば、親戚の子だ、と思っただろう。

なのに、なぜか、紗英の脳裏にその考えは浮かばなかった。

女性が紗英を見た。

その表情が、ほんの一瞬だけ硬くなる。

「こちらへどうぞ」

早足で後ろをついてきた式場の係員が、紗英を関係者席へ案内しようとする。

紗英は動かなかった。いや、動けなかった。

だが、次第に席は埋まり、義母は紗英を無視したまま、目の前の女性の横に黙って座った。

開式を告げるアナウンスが流れ、最前列で立ち続けるわけにもいかず、紗英は係員に従って後方へと足を向けた。

ざわめきが消える。

僧侶が入場し、読経が始まった。

紗英は、式場の中ほどの椅子に座り、絶望感に包まれながら祭壇を見つめていた。

やがて司会者が、遺族の挨拶を告げる。

「喪主、故・高槻雅人様のご母堂、高槻美津子様」

美津子が頭を下げる。

「故人のご令室、澄香すみか様」

続く言葉と共に、さっきの最前列の女性が立ち上がりこちらを向いて頭を下げた。

司会者の言葉に、紗英の頭は真っ白になった。

ご令室って……妻

「ご長男、悠真ゆうま様」

男の子が、母親に促されて頭を下げる。

雅人の妻。

雅人の息子。

流れ続けている読経の声が遠ざかった。

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最新章節

  • 夫の葬儀で、私は愛人にされた ――すべてを奪われた私を救ったのは、亡夫の兄でした ――   第45話 言えない気持ち

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